そっと背中を押してくれたひとこと

誰にでも、忘れられないひとことってあると思う。
わたしにも、トモのことでは、ありがたいひとことがたくさんある。

それは、トモが幼稚園に入る前の話。3歳児健診で、保健婦さんに「発達相談を受けませんか?」と言われた頃だったと思う。
そう言われる以前より、
・ 目が合いにくい。
・ こちらが話しかけていることに答えようともせず、関係のない自分の興味のあることだけを話している。
・ 迷子になっても平気。
・ 散歩のとき、手をつなごうとしてもふりほどいて、親なんて目に入らないかのように、走っていってしまう。
・ また、車が近くにきていてもパッと道路に飛び出したりして、危なっかしくてしょうがないのに、本人は危険を感じてないみたいだ。
・・・・などなど、いろいろと不安に感じることがあった。 不安に感じていたんだから、ありがたく相談を受ければいいわけなんだけど、なんだかこわくて仕方がなかった。

そんなとき。
友人と話しをする機会があった。わたしは、彼女にトモの話をした。
「発達相談を受けたほうがいいって、言われているんだ。」確か、そんなふうに言ったんだと思う。
わたしの話を聞いて、彼女は少し困ったように、でも静かに言った。
「トモくんなら大丈夫よって、わたしは言ってあげられないの。」
わたしは、彼女の言葉に驚いた。
彼女は、自分の親戚に、自閉症のお子さんがいるという話をしてくれた。
小さいときから、「なにかおかしいな」と思うことがあっても、親はなかなかその事実が認められない。そんなとき、まわりからも大丈夫よって言われてしまうと、余計に認められなくなってしまう。
彼女は、まわりで無責任な発言をするのはよくないと思っているようだった。

不安でたまらなかったわたしは、心のどこかで、「大丈夫よ。」って言って欲しかったのだろう。彼女の話を聞いて、現実から目をそらそうとしていた自分に気づいたとき、ちょっと涙が出た。
でも、彼女の言葉は、わたしに一歩踏み出す勇気をくれたと思う。
こんなこと、言いにくかっただろうに・・・・ありがとう。

親なんだもの、子どものことはとても心配だ。 悲しい事実を認めたくないという気持ちが働いても仕方のないことだと思う。
だからこそ、まわりでできることは何なのだろう・・・むずかしいことなんだけど、心の片隅にきちんと留めておきたいことである。

2004年 10月


 こだわり

トモは、幼稚園の(特に年少の)とき、ホントにいろいろこだわりがあった!
まず、幼稚園の下駄箱に貼ってある一人一人の名前シールを、 毎朝幼稚園に着くと、必ず確かめてから教室に入っていた。
子どもたちには、字が読めなくても自分の場所だとわかるように、 下駄箱やロッカーなどに、それぞれのマークが名前シールと一緒に貼ってあったが、 トモは、汽車のマークは○○くん、てんとう虫は☆☆くん、というふうに、 お友達のマークも覚えていた。ちなみにトモのは、怪獣だった。(あっ、恐竜か。)

年少の頃は、まさしく怪獣だったかも?
お友達が遊んでいるおもちゃでも、自分が興味を持てば、奪い取っていた。 何人か気になるお友達がいて、後ろから突き飛ばす。 このころ幼稚園に迎えに行くと、母は、いつも頭を下げていたように思う。
先生も、さぞ大変だったことだろう。
「朝のなかよしあそびの時間は、目が行き届かないので、 その間、トモくんについてもらえないでしょうか?」 と先生がおっしゃったこともあった。

こだわりの話にもどそう。

裸足が大嫌いだった。これは今もなんだけど。
トモの幼稚園では、夏場の室内履きは上履きではなく、裸足に指定のぞうりを履いていたのだが、 トモは全く受け付けず、夏でもひとりだけ、靴下をはき、上履きで過ごしていた。 素足の感触が嫌だったのだろうか?

幼稚園には、外遊びで使えるスクーター(キックボードの小さい子向けって感じかな)という乗り物があった。二輪のものと三輪になっているものとがあり、トモはこれで遊ぶのが好きだったのだが、二輪でないと絶対に乗らなかった。
二つ並んだぶらんこも、右と左に違う色が塗ってあって、トモはいつも赤い方に並んだ。たとえもう一方が空いていたとしても、お気に入りの方にしか乗らなかった。
幼稚園のことだけで、ちょっと思い出しただけでも、これくらい。 まだまだ思い出せないくらい、たくさんあったと思う。

しかし、だんだんと、成長していくにつれて、トモのこだわりは薄くなってきているようだ。
この夏休みは、家の中で靴下をはかずに過ごしていた。(さすがに暑かったのかな?)でも、外出はぞうりを嫌がって、靴下をはき運動靴だったけど・・・。せっかくかっこいいサンダル買ってやったのに・・・。(笑)
切り替えが苦手なトモだが、今では多少の変更も、説明すればしかたなく(?)わかってくれる。

なんにしても、今のところ、明るくのびのびと育ってくれていると思う。
主人ともよく話すのだが、1年生になって、急に大きくなったような気がする。 もう怪獣では、なくなったよね。

トモのことで困ってしまうのは、遊びに来てくれたお友達の前で、トモが別の世界にワープしちゃうときかな?
お友達が遊びに来てくれるとすごくはりきって迎えるのに、それが長続きしないっていうか、別な方へ気が移ってしまうとなかなか戻ってこれなくなっちゃう。
そういうときは、わたしやタイがその子と一緒に遊んでたりする。それができないときは・・・ごめんね、お友達・・・。

2003年 10月



  給食のワゴン運び係事件

トモが、いろんなところで助けていただいていたり、困ったことをしてしまっても、親が知らないでいるのも・・・と、ふと思い、トモに言った。
「もし、学校やお友達の家やお母さんがいないところで、親切にしてもらったり、失敗しちゃったら、お母さんに教えてね。知らないでいたら、ありがとうもごめんなさいも言えないから。」
すると、トモは、またまた(4月にもあったのです。)給食の食器が入ったワゴンを机の上から落として、食器を割ってしまったことを話した。
1週間くらい前のことのようだった。
言えたことはほめたものの、ため息をつきながら、母は、また、連絡帳にお詫びを書いた。

担任の先生からのお返事には、次のようなことが分析してあった。
* 前の失敗と今度の失敗は、結果だけ見ると同じように見えるが、違うこと。
* 今回は、友達が食器をまだ片付けているときに、ワゴンを動かしてしまい、
 食器を落としたこと。
* トモは、自分の仕事(給食のワゴンを運ぶ係)を、時間通りに順序良くやりたい
 という気持ちがあり、他の子がどうしているかということが、いまひとつ見えて
 いないときがあること。

読んでいて、トモの様子がよくわかった。
幼稚園の頃も、クラスのお友達の準備の関係などで、自分の給食当番の仕事が時間通りにきちんとできないと、泣きそうになったり、イライラしてしまうことがあったと幼稚園の先生からお聞きしたことがある。
当時は、時計を見せて、「針がココにくるまで、もう少し待ってね。」と、目で見て、見通しを立てられるように話してくださっていたそうだ。

加えて、先生は、4月にワゴンを運んでいる最中に食器のかごを落としたところでは、すごく注意してゆっくり運んでいるので、トモなりに学習していることを評価してくださっていた。
「失敗なんて、何度しても大丈夫です。大きくなっていくのを楽しみにしていましょう。」という先生の文章は、とてもうれしかった。
いろんなことがあるけれど、少しずつ成長してるかな?
まわりのあたたかい支えを感じられるとき、親は、ゆったりと構えることができるなぁ、そんなことを感じた出来事だった。

2004年 7月 小2



  9歳の誕生日を迎えて

この夏、トモが9歳の誕生日を迎えた。 友達との関係がだんだんと密になり「ギャングエイジ」なんて言われる年齢になってきたわけである。
不安をいっぱいかかえて小学校へ入学して、ようやく「なんとかやっていけそうかな?」という見通しがついてきたのが1年生の2学期ごろ。 それからは、学習に抽象的な概念が入ってきたり、友達との関係作りなどがむずかしくなってくるだろうという、この3年生からの時期を、次なるハードルか?と心配してきている。

3年生の担任の先生は、お話しする機会があったりすると、いつもにこやかな笑顔で、トモのことを「穏やかな性格」と評価してくださる。
幼稚園の頃、友達とトラブルを起こしたり、人が遊んでいるおもちゃを奪い取っていたようなトモなだけに、この言葉は、親としてとてもうれしい。
でもね、穏やかな性格でも、からかいやすい性質の子だけに、心配はつきない。

トモは、すぐにズボンの中に手がいってしまう。 そうすると、気持ちがすごく落ち着くらしい。 でも、誤解を受けるかもしれない行為でもあるし、これから先のことも考えると、きちんと教えていかなくてはならないことで、わたしは見つけると、手を持ってズボンの外に出し、「手は出しておこうね。」と繰り返し言っている。
同じようなエピソードは、漫画「光とともに・・・5巻」にも出てきていた。 ああ、やっぱり!とすごく共感したものだ。 思春期に向かう男の子の母親としては、大きな心配のひとつなんだと思う。

なんでも口に出してしまう子で、家でトイレに行くときも、
「うんちしてくるねー。」なんて。
そういうことは、いちいち言わんでもいいのよ。

それでも、最近は「恥ずかしい」ということを意識し始めている。ポイントは少しずれている気がするけど。 たとえば、
「プールのときに、靴下を履いたまま入っちゃった子がいたんだよ。」
なんて話してくれるので、
「あわてていて、脱ぎ忘れちゃったのかな?それは、誰?」などと聞くと、
「恥ずかしいから、言わない。」と言う。
その子が恥ずかしいだろうから、言わないってことなのか? それとも、もしかして自分だったとか?
「このまえ、すごく恥ずかしかったんだ。」
と、さも困ったようなコイル眉毛(笑)で言うので、わけを聞いたら、 友達を、間違えて「先生」って呼んじゃったんだって。
う〜ん、そんなに恥ずかしいことでもないと思うけどなぁ。
夏休みにエレクトーンのレッスンへ行くときも、
「自転車で行ってきたら?」と言ったら、嫌がるの。自転車大好きな子なのに。
どうしてなのかと聞くと、
「先生の家の前に自分の自転車が置いてあったら、怪しまれる。」
って。誰に何を怪しまれるというの????

正直になんでもしゃべっちゃう子ではあるけれど、ちょっと変わってきているのかな?と思うところも出てきた。
先日、一緒に児童館へ行ったときには、こんなことがあった。
先に来ていたクラスの子を含むグループが、児童館へ行くとトモが好んで遊ぶ、ドミノ倒しをしていた。 トモが、入れて!も言わず、そのグループがまだ使っていないドミノの積み木に触ろうとしたら、
「触るな!」
って、一人の子にすごくキツイ口調で言われて、パッとその場を離れた。 泣きそうなのをグッとこらえている様子で向こうの方へ行ったので、わたしも気づかないふりをしたんだけど・・・。
児童館を出てから、「触るな」って言った子のことを聞いたら、トモは、
「(ぼくは)そんなこと言われてない!」って言い張るんだよ。
わたしに知られたくないことだったのか。 こうやって、学校であった嫌なことも、親に隠しているのではないか? そう考えると、いつも以上に心配になり、個人懇談のときに、担任の先生にお話してきた。
トモなりに、心も成長してきていて、だんだんと親の手から離れていく時期にきているのだろうか?

トモのことを相談に行っている専門機関の先生には、
「トラブルをなくすことはできないが、本人が困ってしまってにっちもさっちもいかなくなる前に、早めに大人が中に入ってサポートする必要がある。そういう意味で、告知も必要だし、お兄ちゃんには、そろそろ話しておいたほうがいいでしょう。」
というようなことを言われているのである。
そして、この夏休み中、3年ぶりにトモも一緒に専門機関へ行くことになっている。
なんて話して連れて行こうか?
この期に及んで、まだ決意を固めていない母親なのである。

2005年 8月 小3

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